抽象度定量化法について開発方針

研究概要

人類は様々な形で物事の抽象化を行っている.抽象化とはなんだろうか.

抽象化の意味と歴史,学問,宗教との人工知能と芸術,ユーモアの関係性からなんとなく述べていき,この抽象化という若干特徴をつかみづらい操作の正体をつかむきっかけを提供し,研究の意義を伝えることから始めたいと思う.

「抽象的とは、共通した要素を抜き出して一般化していること、または具体性に欠けていて実態が明確ではないことである。」(weblio辞書参照)

歴史的に見ても,紀元前から人類は抽象化というものを行っている.例えば,毛むくじゃらで四本足でワンワン!と鳴くあの動く生命体の集合を「犬」と呼ぶことにしよう!というのはまさにその共通した要素を抜き出して犬という新たな集合にカテゴライズする抽象化に他ならない.さらにそこから同じような陸にいるちゅんちゅんと鳴いているスズメやうごめくトカゲなどを総称して「動物」,海にいる魚や,花にとまる虫.人間などの生きているらしいものを「生物」と名付けよう!と抽象化が進む.

また,我々人類も含め,自然の中で生きている生命は様々な自然災害や食糧難,天敵の急襲など不条理の中で生きていると言える.古代の人類にとって,これは今よりも明らかに致命的で,人々はこの世界の自然や運命というものに畏怖を抱き,神というものの存在を信じていたのは周知の事実であるし,コントロール不能な運命にさらされていたらその存在を仮定して信じ切るのもある意味必然といえる.そこで神の意志を知り,より安全に幸福に暮らせるために頭を働かせ,この世を理解し予測しようとしたのだ.この世の真理を,五感で感じ取れるもの,頭で考えうかぶものすべて総動員して神の意志,真理を求める.

人によって違う意見は真理とはならないために,客観的に正しい理屈を重んじる人たちが厳密な数式や集合論,論理記号を用いて抽象化を行って発展した学問が数学の一面といえよう.そのような不条理や神の意志の正体を知ろうと人は万人にとって絶対に正しいと思われるものを手がかりにして(公理と呼ばれるものなど)そこから演繹で導かれる定理と呼ばれるものなどから,諸分野に適用し,必要十分な抽象化を繰り返すことで宗教や科学,この世の正体を少しずつ理解していった.そして,今も科学者が研究にまい進しているのである.

また,音楽や詩,小説,絵などを含む芸術やユーモアもこの抽象化の精度というものと密接に結びついている.抽象画なんてものが存在する通り,芸術というのは抽象的な概念をつかむきっかけとなる手段としての側面や新たな概念の創出に役立っている.既知の複数の具体的な事物などの関係性を他のものに当てはめ,理解の助けとすることを類推(アナロジー)という.例えば「サッカーはボールに群がるよりコートに散らばってパスを待った方が,チーム全体として得点するには有効だ.同じような原理が球技であるバスケにも戦略的に同じことがいえるのではないか?」とサッカーの戦略性を球技という要素を持つバスケにも当てはめるような操作を類推という.そしてこの両者にあてはまる抽象化された関係性のことをソースという.よく音楽番組で恋愛にまつわるいわゆるラブソングというものをよく聞くが,筆者は個人的にあれは人々の共感を呼びやすいため商業的な側面から見ても歌いやすいのだと思っている.これはいいかえれば,人々の恋愛というのは多少なりとも似通ったところがあり,ソースの抽出精度が荒くても共感を呼びやすいと言い換えることができる.ソースの抽出という過程はまさに抽象化に他ならなくて,抽象化の精度が高いほど優れた芸術になるというのは直感的に理解できる.詩や絵なども読者や見たものに一見関係ないものなのに,そこにいる人々に同じような概念を想起させたり,生成させたりしたらそれはとても精度の高いソースである.そこにいる人々は一体感や同じような共有体験智を得られたと感じ,感動を呼び,神秘すら覚えるかもしれない.

ユーモアについても,同様のことがいえる.わかりやすいのは例えばことわざである.クラスメイトが低レベルなスコアでテストの結果について意地の張り合いをしていたとする.そこに「どんぐりの背比べ」というものがいたら,「そこには一切どんぐりなどないし,ましてやどんぐりは生命体ではないので背比べできるわけではない」のにも関わらず,「傍から見て,同じような“低いモノ”同士があたかも実際は大した差ではないのに,“その差異が重大である”かのようにふるまっている」というソースが瞬時に周囲の人々に生成,想起され,笑いが起きるのである.抽象化とは不思議なもので,その精度というものが人間らしい情緒さえ動かすのだと私は感動しているのだ.

一方,筆者は自身も含めて,街中の会話や様々な雑談の中で「○○って絶対~~だよね~!」「〇〇人って~~しているよね!」「やっぱ〇〇にいるひとってみんな~~なのかな~?」などという一つの一例から傾向を想像し(共通していると誤認した要素を想像で抜き出し),正確性が疑わしいカテゴライズや一般化(抽象化)をしている様子をしばしば目にする.

「頭いい人ってやっぱみんなどっか頭おかしいよね!」「理系ってチェックシャツ好きだよね」とかである.この正確性を欠いた抽象化(明らかに不十分な帰納)やそこから導かれる演繹の結果として誤解や差別や偏見というのは生まれると思う.

絶対的に正しい適切な抽象化手法があったと仮定して,その適切でない一般化や抽象化と適切な抽象化の差がもたらす影響(粒度の荒い抽象化による誤差の伝搬)について知りたいと個人的に思っている.

そこで役立つのが「抽象度定量化手法」である.

上述したように帰納と演繹の検証から抽象化の十分不十分さを確かめていく過程が必要なことはわかったと思うが,定量的な手法がまだ確立されていないし,かなり高度な思考過程が必要なのは想像にたやすい.抽象化というものをより科学的につかんでいくにはやはり正確に定量する必要がある.そのための研究を生涯にわたってマイペースに進めていきたい.

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